思うだけで学ばない日記 2.0

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形式主義とGMA0BN

1

個人的な話で恐縮だが、GMA0BNはわりと普通の小学生だったので、とりたてて1+1=2に異議を唱えて先生を困らせるというようなありがちなエピソードもなく小学校の算数の授業に普通に順応した。
つるかめ算のような複雑な計算はできな苦手だったが、教科書に載っているのはしょせん指折り数えれば解ける問題がほとんどだったし*1、端数が出るような割り算があるわけでもなく、掛け算は足し算複数回のショートカットと解釈して全く無問題だったし、全ては見知った数だけからなる有限の世界だったのだ。

2

中学生になると「算数」が「数学」に変わったわけだが、ある日、数学教師が奇妙なことを言い出した。

三角形の内角の和は180°である

この命題が真だという。ちょっと待ってもらいたい。上の言説ではどの三角形について言ってるのかわからない。
すると教師は、全ての三角形について、内角の和が180°なのだと言う。
見たんか、お前この宇宙の全部の三角形を見たんか、と当然の疑問を呈した後、じゃあこの宇宙に存在する三角形の個数はいくつなのかと問い詰めたが、返ってきたのは当時読んでいた科学雑誌で見た宇宙の粒子の総数*2とぜんぜん合わない値だった──その教師は

無限にある
と言ったのだ! そんな具合で議論が紛糾したままその日の授業は終わった。

3

教程がちょっと進んだ頃、三角形の内角の和は180°というのはユークリッド幾何学の公理から導かれるのだということを知った。
その一つに曰く、

一点を中心にして任意の半径の円を描く事ができる

ここに至ってGMA0BNは確信した。当時のGMA0BNの脳裏には「中二病」という語彙が明確にあるわけではなかったが、その確信を今言語化するとまさにこうなる:

奴らは中二病

連中は見てもいないものについて見たかの如く主張し、現実にはできもしないことをできると言い張り、自明でない数量を勝手に「無限」に置き換え、そんな根拠不定な論理をまくしたてていつも超上から目線で漏れの正当極まりない指摘を封じにかかるのだ。ヴァカと中二病につける薬はない。その日以来、GMA0BNにとって、高々数十年の有限の寿命と有限の思考速度しか持たない身で無限かそれに近いものを実際に見たかのごとく言及する輩は殲滅すべき敵となった。

4

大学に進学したGMA0BNはほどなく不完全性定理の存在を知り*3、奴らが排泄物を自身の尻に付着させたまま拭けてない様に快哉を叫んだ以下略
ともかく、連中が有限の立場で小奇麗に刈り込んだはずの限りなく広い庭園には毒蛇が住み着き、その巣窟の中身をうかがい知ることもできないばかりか、正直なところ、巣窟の位置も数もわからないという。
欲張るからだアフォどもめ。庭師が直接見回れない広さの手入れが行き届いた庭園などありえないのだ。

5

その後の展開は約こんな感じっぽい↓
ttps://sites.google.com/site/sendailogichomepage/home/ref/ref_06
巨大基数とか超限帰納法とか、ジャンプ漫画みたいな展開で何かカコヨサス!?

まとめ

  • 早く全人類が、知らないことは「知りません」、見ても聞いてもいない事は「聞いてません」、できないことは「できません」で通す厳密な思考の使い手になりますように(−人−)。
  • 公理といえどもしょせん有限回数の観察や思考で帰納的に得た経験的知識にすぎず、現実の宇宙で経験した事物と対応付けられる範囲内の演繹操作でのみ無矛盾に見えているだけかもしれない、究極的にはAと¬Aの区別は無い、と言い立てようと思えば言い立てることもできるいや知らんけど
  • 【超重要】本日のエントリはフィクションであり、実在のGMA0BNとは関係ありません。またGMA0BNは数学は知りませんし、できません。【NOTICE】

■追記

世の中には証明不能な自己言及的命題の実例を示して不完全性定理が成立するのは当然だ証明は簡単だみたいに書いてあるサイトがあるが自己言及がパラドックスの巣であって「何でもアリ」なことはラッセルが言い出したときすでにわかっていたことなのであって1930年頃の真の焦眉は公理系の無矛盾を仮定したとき自己言及的でない命題の中に決定不能なものが存在するか否かであってゲーデルは普通な演繹系の下でそれが存在せざるをえないことを初めて示したわけだしそれにはゲーデル数を用いた多少大掛かりな論証が要ったということらしい
、と電波レス

*1:GMA0BNは1000まで数えるぐらいならあまり苦にならなかった。

*2:根拠は知らないが、多分だれかが指折り数えたのだろう。

*3:ブルーバックスを本屋で立ち読みした。