思うだけで学ばない日記 2.0

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打ちてしヤンマーニ

なんか某所に将棋と囲碁の複雑さの違いについて書いた下手糞な説明がうpられていたが(中略)
将棋と囲碁の複雑さの違いとは端的に言って空間的評価上での良さが残り手数の少なさと結びついているか否かである
これが左様であることは簡単に示せる

1) 囲碁の局面評価を盤上の石だけで行う場合*1
同じ石の配置が完全ゲーム木の異なる深さで現れ得るが、終盤近くに現れるほど空間的評価の上での優劣を覆されにくくなるから、それらの価値を同一視するわけにはいかない*2。つまり残り手数に紐付けられた局面評価を行う必要がある

2) 囲碁の局面評価を盤上と取った石の全ての石の位置をもとに行う場合*3
取った石の数はゲームの進行につれて単調増加するから、それを含めて評価するということは、残り手数に紐付けられた局面評価を行うと公言しているに等しい

どっちみち残り手数に紐付けられた局面評価を強いられるわけだが、それがどれほど恐ろしいことかというと、完全ゲーム木の深さnにおける学習データがn以外の学習データとしては使えない公算が大きいということである。つまり合法手の数が大きく局面の爆発が激しいわりに、学習サンプル数がいつも欠乏気味という機械学習にとって地獄の状況が現出する

で、一方もちろん将棋はそんなことはなくて、良い手であれば相手を早く詰ませられるのであるから、空間的評価だけでほぼ十分と言える
囲碁に比べたらちょー安心のゲーム

*1:取った石を考えない

*2:「全く同じ石の配置が異なる深さに現れることはまれだから無視していいんジャネ?」それは石の配置の差異に敏感な評価関数を構成できたときのみ逝ってよし

*3:取った石も将棋における駒台にある持駒のごとく評価に含める